◆外人のほかの言い方を考えようか。

No.51 投稿者:名無しの権兵衛 - 2005/05/05(Thu) 01:50 
俺は基本的に差別心ってのは、自我の弱い人間が用いる自己防衛手段であり、
喜怒哀楽と同じレベルで人間に備わっている自然な感情だと思っている。
怒りや悲しみといった他のネガティブな感情と同様、自我を守る手段として、
現れるべきときに必然として現れる感情だと思っている。
自分の能力に自信がもてず、自らの確固たる存在意義を認められない人間が、
自分のアイデンティティを満たすのに差別心は非常に有効な手段なんだよね。

女だから、黒人だから、身体障害者だから、被差別部落出身者だから、etc。

こういった本人にはどうしようもない事をネタに他人を蔑むとき、
自分と相手の能力、人格、これまでにしてきた努力等、一切関係なく、
相手を自分より「下」と認識することができ、”奴らに比べれば俺も…”と、
自分自身の(脆い)存在意義を確認することができる。(まあ錯覚なんだが)
危うい自我を守るためにはうってつけの手段なわけだ。
逆に言えば、そういったコトをネタに”せざるを得ない”人間ってのは、
常にそういった手段で他人を攻撃していないと自己を安定させていられない人間ってこと。
それなりに自分に自信のある人間なら、そんな下品な事恥ずかしくて出来ないって思うのが普通だし。

また、「投影」って言う心理も差別を考える上で結構重要だと思う。
ようするに、他人の行動や心理を自分に当てはめて解釈する事ね。
「俺がこう思っているんだから、あいつもこう思ってこういうコトをした(言った)んだろう」って考える心理。
いっけん何でもないような事でやたらと差別だなんだと叫びたがる人がよく居るけど、
結局これって↑で述べた心理の表と裏でしかないんじゃないか、って思う。
だから、殊、差別の問題に関しては、それが事実であるか否かは大した問題じゃない。
「モンゴル人は乗馬がうまい」という言葉に傷つくモンゴル人が居るとするならば、
それはその人が自分がモンゴル人であることに対して何らかの引け目を持っているからだ。
「一般的にモンゴル人は乗馬がうまい人が多い」という事実を指摘することによって、
その人のモンゴル人である自分に対して持っているコンプレックスが刺激されることによって傷つくわけ。
それはどこまで行っても個人的な問題だし、そこまで個人的事情に対して気を使わねばならない、って規範を
その地その地の文化的背景も無視して押し付けるあんたのやり方にはまったく賛同できない。
(ただし、「世界で」じゃなく「アメリカで」なら良し。あの国でのことなら普通に納得できるし)

もっとも…「日本人のアレは小さい」は差別や偏見以前のただの低レベルの罵りの類だけどねw


こんなトコでいいッスか。

- mychan -